投稿

4月, 2018の投稿を表示しています

どこからあおいうに個展は始まっていたのか

 2017年8月10日、私はあおいうにと付き合いことを決め彼女の部屋に住むことにした。  部屋はふたつあり片方はゴミとダンボールが積み上がり辛うじて寝床がある部屋、もう片方も一見するとゴミまみれの部屋に見えたがその実は違った。床に敷かれた絨毯が周囲とその空間を隔絶しているように存在し、イーゼルには描きかけの100号キャンバス作品『寝そべる人』があった。私は彼女に聞いた。  「どうやって生活しているの?」  彼女は答えた。  「描く時だけ帰ってきて普段は他の場所にいる」  なるほど。電気もガスも止まり、部屋はゴミとダンボールで埋め尽くされてもなお絨毯の上にはイーゼル、キャンバス、筆、画材、すべてがすぐにでも仕事を始められるよう配置されており一切散らかっていない。この絨毯の上が彼女、あおいうにの世界であり聖域だと私は感じた。  この時、私はいくつか思案した。生活はどうするか、体調はどうするか、しかしその中でも私の脳内はある一点で思考が引っかかっていた。それは彼女、あおいうにが部屋までの道中で私に言ったこの言葉が原因だった。  「自分は歴史に遺りたい」  私は世界史が好きだ。世界史で名前が遺っている人物は何故遺っているのだろうか。それはその時代において全力を出したか、その時代と噛み合ったか、その時代で最大の幸か不幸かを掴んだかだと考えられる。  では”あおいうに”を歴史に遺すにはどうしたら良い。全力は本人が勝手に出すだろう、時代との噛み合わせはプロが手伝ってくれるだろう、幸か不幸は……  正直私は臆病者である。自分が誰かと出会ったことが相手にとって幸運だったと言い張れるほど太い肝は持っていない。よってやることは一つ、彼女が全力を出せる”場”を構築することだ。この散らかりを通り越して生活できない部屋で出せる全力とこれをすべて片付けて暖かい部屋、温かい食事、温かい風呂を得た状況で出せる全力は決定的に違うはずだ。私は、彼女の全力を見たかった。  この後、私は気を病んだり体を病んだりして散々彼女の足を引っ張り迷惑をかけながら部屋を片付けライフラインを復旧し風呂を沸かして鍋料理を作った。今思い出しても自分が害悪だったことは多いと思う。  そして彼女の入院、引っ越し、そして個展準備。