小学校低学年不登校にとっての学校世界

 こんちには、不登校のハルトマンです。

 初投稿から1日経ち思わぬ反響にただただ驚くばかりです。

 さて、今回は小学校低学年時代の自分にとって学校世界はどのように見えていたのかを思い出してみようかと思います。

 小学校1年生の後半か2年生の前半に不登校になりはじめました。不登校とはある日突然なるものではありません。徐々に徐々に学校世界から遠ざかって行くものなのです。

 最初の頃はただ行きづらいだけでした。頻度で言えば週に1、2回休む程度。しかしこれが徐々に進行して行くと休む日が増えて行きます。

 理由は様々あります。まずこの頃家庭内の問題が強く現れはじめました。

 多分ですがこれが引き金となって不安が強くなっていったのでしょう。次に学校に行かなくなる日が増加すると学校世界で通用する話題や勉強の進捗、つまり前提となっているものについて行けなくなり付き合いのあった友達と疎遠になって行きました。

 学校世界の前提についてもう少し詳しく書きますとここで述べている前提とは大体3つの要素で構成されていたように思えます。

 一つは勉強、一つは娯楽、一つは家でのこと。この3つが学校世界で話題を形成してコミュニュケーションを形成していたように思えます。

 まず勉強から考えてみましょう。週に1日や2日程度の休みではそこまで勉強に遅れは生じません。多少あってもクラスの勉強できない子と同等程度になるだけです。しかしこれが4日以上になるとそうは言えません。完全に何を言っているのか分からなくなりす。
こうなってしまうと復帰まで時間を要する状況になります。

 次に娯楽はどうでしょうか。一口に娯楽といってもその時々の流行りや実質的に娯楽と化している体育授業での成績など多岐に渡って存在しています。ゲームやアニメなどの流行りはまだ学校外での娯楽で十分ついて行きようがある娯楽ですが体育や同じ授業の音楽での役割や成績などとなりますとどうしようもありません。

 最後に家でのこと。これは家族に限定せず習い事がどうの、買い物がどうのといったいわゆる世間話の類です。実はこれが一番の鬼門でして最も共感を得やすい話題だけに求められる話の質もある程度要求される上、この話題を話せなければ学校での人権はまずありません。

 ではどうすればこの話題を安定して話せるか、それはどこまでいっても安定した家庭環境と言えましょう。

 私は以上の3つの話題から学年を重ねるごとに離れて行きました。勉強はどうしようもなくなり、唯一の娯楽だったゲームは封じられ、家庭環境は父親、母親、叔父のメンヘラ悪化で救いようのない状態となっていました。

 こうして学校へ行くことも家にいることも虚となり小学校低学年を終えました。


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