小学校低学年不登校の出歩く先

 どうも、不登校のハルトマンです。
小学校低学年の不登校生活は中々暇なものでありまして部屋の中ではテレビ画面ばかり観ておりました。では部屋の外、屋外では何をしていたのでしょうか。今回の記事ではそれを思い出してみようかと思います。

 まず第一に思いつくのは駄菓子屋です。学校に行く道中にある二軒の駄菓子屋でよく小さなくじを引いたり50円で贅沢を楽しんでいました。普通、駄菓子屋というものは友達と行って楽しんだりするものかと思いますが私の場合は駄菓子屋でお菓子やジュースを買い友達が学校終わるのを近くの公園で待っていたような記憶があります。

 次に公園です。ブランコ、滑り台は当たり前として今やご禁制となった遊具の宝庫。しかしそういった遊びは一切せずゲームボーイを起動させポケモンに勤しんでおりました。ポケモンの他にもドラゴンクエストモンスターズ2やコロコロカービーなど公園はその時々の流行りの中心地だったのでしょう。

 他にもベイブレードや遊戯王をやっていました。特に遊戯王は後の私の人生を食いつぶすくらいにはやっていました。

 最後に友達の家。これは健常者各位と同様にスマブラやマリパでした。しかしスマブラ下手くその身に与えられる階位は下座、お菓子からは遠い身分でありました。

 ざっくりではありますがこんなものでしょうか。当時からの友達がいればもう少し詳細を書けるのですがこの後の病状の悪化により友人関係は小学校高学年までには壊滅、以後友達というものは中学に顔を出すようになるまで存在しませんでした。

 今思うとゲームがあって本当に良かったと思います。

 遊びの中で社会性が形成されるのは誰しも同じですがあの頃はスポーツかゲームの二択だったように思えます。スポーツがダメな私がギリギリの社会性を獲得できたのは任天堂様のお陰と言えましょうか。しかしこれはその時々の旬なゲームを持っていればの話であって中古の古いゲームや家で遊ぶ卓上ゲーム機では中々こうは行きません。この後離婚戦争が本格化すると親も資金難になったのでしょう、旬なゲームからは遠ざかりそれと同じくしてゲーム仲間とは疎遠になったような気がします。同時期に病状の悪化もありましたのでそれもあると思いますがやはり人間関係の基軸だったゲームを断たれたのが要因として考えられます。

 どんな年齢になろうとも人間関係の基軸になる趣味や遊びは欠かせません。

 これがあって初めて他人との距離感やコミュニュケーションが成立するのです。無駄だと、銭にならないことをと思われるかも知れませんが友人は銭では買えないのです。

 銭で買える物は捨てられますが買えないものは早々楽には捨てられませんし消えることもありません。つまりこれは安定した関係の形成として考えることができます。

 安定した関係があれば気を病むことも少なくなり回復の道筋があったかと思いますが現実はそうはならず安定した友達関係は崩れ去りあの時代の私が戻る場所や遊びに行く場所は無くなりました。

コメント

このブログの人気の投稿

小学校低学年不登校まとめ

部屋を掃除していたらWAIS-3が出てきた

小学校高学年不登校