通信高校1年生と針と糸

 こんにちは、ハルトマンです。

 晴れてカタギの道に戻ったと思ったらジャングルだった。人生がよくわかりません。

高校とは、学校とはああいうものだったのでしょうか。少なくとも自分がまともの部類に入る高校があっていいものなのでしょうか。怪しいところです。


 その日、私は週二回の登校日のうちの一つに出ていて唯一まともに進行できる体育の移動中でした。私が行っていた高校は全日制の校舎と通信制の校舎があり私たちは通信制の校舎から教員総出の護送でグラウンドへ向かっていました。護送はテンション上がって全日制の校舎にカチコミかましたり私のように飽きて消える者が出てくる為です。

 この護送中に国語の教員からある相談を受けました。キルト委員会を手伝ってくれないか、私の高校では授業の一環でキルト作りがありキルト委員会とはその授業の準備をするところでした。曲がりなりにも高校に入れてもらった恩義がある以上、手伝いが必要と言われたら断ることもできません。その日から私は針と糸を持つようになりました。

 キルトの授業は総合必修で全ての学生が受けていました。まず針と糸の使い方から縫い方など細かい作業の概要を教えそれから実技ということになりますが私のクラスからしてこのザマだったので技術精度や出来栄えは一切求められていませんでした。できる子はできるし、できない子は最後まで頑張れば良い、そんなゆるい授業でした、

 で、尻拭いをしていたのがキルト委員会の面々でした。分かりやすい授業と解説用紙があってもできるできないはあります。まず最初にやる仕事はちゃんと形になっているキルトと使えないキルトを分別することからでした。次に形になっているものはそのままつなぎ合わせて完成品に近づけ、全体の9割を占める使えないキルトの糸を解き再度正しい形に縫い直す。これを放課後の1時間程度を使ってやっておりました。

 キルト委員会にいたのは比較的大人しいメンバーでした。同期が一人と先輩が数人、私以外全員女性だった為私は浮いた存在だったかと思います。男子の大半が蛮族に近かった為、非常に警戒されていたようです。

 人生初の、学生生活が始まりました。

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