切った縫ったの毎日

 こんにちは、ハルトマンです。

 前回、私は放課後に針と糸を持つようになりました。

 キルト委員会とはそもそも何をしていたのか、まずはその整理から始めたいと思います。端的に申しまして授業の準備と直しが主な仕事になっていました。

 新学期が始まると総合の授業で各学生たちがキルトを縫い始めます。一人9枚の正方形ピースを縫い合わせ一枚の3×3のパッチを組み上げていくのですがこのキルトのゴール地点は2つあり1つは9×9パッチを2枚使って作るクッションなのですが最後に棉を詰めた時各ピースがふっくらとなる必要がありそれに合致した縫い方が決まっていました。

 放課後、授業で作られた3×3のピースがキルト委員会に運ばれて来るのですがこの時そのまま使えるものは全体の5割にも満たなかったかも知れません。縫い方が間違っている程度なら糸を解いて直すだけですが余程力を込めて縫ったのか生地の糸目が崩れていたり縫い方が特殊で糸を解くだけでも時間を要したりと直しの仕事が大半を占めていました。

 当然これでは放課後の時間では足りず総合の時間中にもう一つのゴール、タペストリー制作に使うパッチを組み上げていました。こちらの方は適当に組み合わせれば良い、というものではなく大きな模様を組み立てなければならないので難易度が上がります。

 さて、ここからが最大の問題です。ある目的を達成するには常に最適が求められます。古代ローマが誇ったレギオンなどはこの好例かと思います。ともかく人員が必要なわけです。しかも仕事ができる人員です。私が在籍していた高校はそもそもできない子が集まる高校でした。その中から辛うじて仕事ができる人間を抽出して委員会へ組織していくわけですから人員は非常に限られたものとなり結果として稼働できるのは5名に満たない目的に対して少数すぎる構成員で仕事をしておりました。

 予定より多い仕事、足りない人員、そして季節によって灼熱と極寒が入れ替わる寒暖の差が激しい労働環境が我々を苦しめていました。私がいた高校は山の斜面に校舎が建っており日当たりは非常に良好でした。夏は日当たり良好過ぎて換気機能がない委員会室は灼熱地獄と化していました。さらに委員会室の前はグラウンドになっておりラグビー部が熱い青春と滾る肉体を発露させており全てが熱い環境での針仕事。冬場は山に日が隠れてしまい自然光を絶たれストーブが稼働するまでは震えで何度も指に針を刺していました。

 都合3年間、この環境で我々は無茶振られていました。願わくば後輩たちが私が委員会室に罪滅ぼしがてら仕込んだ出すところに出せばそこそこ値がつく反物に気がついていますように。

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