みんながドッジボールをやっている時の小学校低学年不登校

 どうも、不登校のハルトマンです。

 暗い話ばかりでは喉が乾くばかりなので軽めの話を少々。

 皆さんの小学校低学年の頃には何が流行っていたでしょうか?

 私が小学校低学年の頃にはよく友達にドッジボールに誘われたものです。しかし産まれた頃より発達障害と診断された身としては球技は鬼門であります。そこで全く違う流行り、テレビ画面の世界へとのめり込んでいきました。

 朝8時過ぎごろに起きるとまずテレビをつけ教育テレビを観ながらの朝食です。ガンコちゃん、ストレッチマン、メカラッパ、作ってあそぼ、皆様が学校で観せられていた番組を私も観ておりました。無論、再放送分が多い番組なので同じ番組を何度もでしたが発達障害のせいか少々退屈なだけで苦は感じませんでした。

 11時ごろ、教育番組が終わるとチャンネルを切り替え今度は時代劇の世界へ。暴れん坊将軍、八丁堀の七人、三匹が斬る、銭形平次、この頃のテレビはまだ多くの時代劇を放送しており食後の楽しみでした。

 時代劇が終わると分岐点です。洋画を観るかゲームをするか、3時間目終わりの友達と遊ぶかです。最初の頃はこのサイクルを続けておりましたが次第に状況が変化してまいります。祖母が私を市の教育支援施設へ定期的に連れて行くようになったのです。

 今思えばあれはカウンセリングだったのでしょう。

 新聞紙や段ボールで何かを作るか、備品のゲーム機で持っていないゲームを遊ぶか。そんな感じのことをしながら何か質問に答えていたような気がします。他にも箱庭にゾイドを投入したり新聞紙とビニール袋で作ったサンドバックに割り箸で作った弓矢を撃ち込んだりとあるものを使って遊んだり無い物から作って遊んでいました。楽しみは帰りの自販機で買うリアルゴールドかコンビニのお菓子でした。

 以上が小学校低学年時代の私の有様です。

 基本的には遊ぶくらいしかできませんでした。大人しく座ることは既にできなくなっていたはずです。

 あの頃の私にとってブラウン管の世界に集中している時がすべてでした。その時だけは見たくないものも考えたくないものもこの世には存在せず、ただ静かだったような気がしたのを今でも覚えています。

 あとは飼っていた猫の温もりでしょうか、まぁそのくらいです。

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