錨
こんにちは、ハルトマンです。
ある日は縫い仕事、またある日は図書室で事務仕事。勉強の記憶より委員会仕事の記憶が多い高校時代でした。というより勉強が壊滅的でした。
小中学校とは縁遠い生活をしていたので基礎が完全になく、自習をしようにも勉強の方法が分からず止まってしまい、挙句この頃は判明していなかった書字障害がノート取りを含む勉強全般に足かせとして嵌っていてどうにも自分が学習に繋がることはありませんでした。
きっとあれだけ商いに集中できていた要因として成果の出ない勉強より成果が出る商いがあったことが考えられます。この二つの対比は実に単純で自分自身のモチベーションの根幹はあくまで”成果”という要素が強くあるということを示唆しています。そして私は成果が出る方向へ、そして嫌なことがない自由な世界へと流れて行きました。
家や学校より外の方がずっと楽しかったです。勝った負けたもあれば美味い不味いもあって聖人もいればクズもいる。そんな環境に私は馴染んで行きました。小学校の時点で枠組みから外れた身ですから当たり前と言えば当たり前なのでしょう。危ないことも沢山ありましたが危険なのは家も変わりません。どこへ行こうとも殺そうとしてくる奴はいつでも殺しにかかって来ます。
私がいた地域は治安もそこまで良い場所ではありませんでした。ある時、友達のカードが盗まれ別の友達が犯人だったことがありました。盗まれたカードは即日売り飛ばされ現金化されていました。友人から下手人に落ちた彼を尋問して実家まで行くとそこは市内の外れにある公営団地、ああ、またここか。私はこの時点で回収を諦めました。そこは一定の所得がある層の全てが市の中心部のマンションへ引っ越してしまい、利便性が悪い団地群の治安は一気に悪化して行きました。
カードゲームショップのゴミ箱からカードを拾って遊んでいた子供達も大体団地住まいが多く、相手を住んでいる場所で考えなければならない実情もありました。
遊びの世界だから、では済まされないことはあります。それが金に絡むことであれば尚更です。子供に限らず歯止めの効かない大人も多く商品の万引きや詐欺、暴力沙汰などもありました。しかし私は平和な学校よりこちらの世界の方が馴染んでいました。
今でも大学に行くとムズムズすることがあります。きっと馴染まなければならない場所は学校なんだと思います。しかし周りにいる学生と私では学生経験に大きな差があるため友人関係も希薄でした。友人関係はその場所に個人を繫ぎ止める錨のようなものでこれが無ければ人は流れて行きます。私もいずれまた流れて行くのでしょうか、せめて流れ着く場所が落ち着いた場所であることを祈るばかりです。
ある日は縫い仕事、またある日は図書室で事務仕事。勉強の記憶より委員会仕事の記憶が多い高校時代でした。というより勉強が壊滅的でした。
小中学校とは縁遠い生活をしていたので基礎が完全になく、自習をしようにも勉強の方法が分からず止まってしまい、挙句この頃は判明していなかった書字障害がノート取りを含む勉強全般に足かせとして嵌っていてどうにも自分が学習に繋がることはありませんでした。
きっとあれだけ商いに集中できていた要因として成果の出ない勉強より成果が出る商いがあったことが考えられます。この二つの対比は実に単純で自分自身のモチベーションの根幹はあくまで”成果”という要素が強くあるということを示唆しています。そして私は成果が出る方向へ、そして嫌なことがない自由な世界へと流れて行きました。
家や学校より外の方がずっと楽しかったです。勝った負けたもあれば美味い不味いもあって聖人もいればクズもいる。そんな環境に私は馴染んで行きました。小学校の時点で枠組みから外れた身ですから当たり前と言えば当たり前なのでしょう。危ないことも沢山ありましたが危険なのは家も変わりません。どこへ行こうとも殺そうとしてくる奴はいつでも殺しにかかって来ます。
私がいた地域は治安もそこまで良い場所ではありませんでした。ある時、友達のカードが盗まれ別の友達が犯人だったことがありました。盗まれたカードは即日売り飛ばされ現金化されていました。友人から下手人に落ちた彼を尋問して実家まで行くとそこは市内の外れにある公営団地、ああ、またここか。私はこの時点で回収を諦めました。そこは一定の所得がある層の全てが市の中心部のマンションへ引っ越してしまい、利便性が悪い団地群の治安は一気に悪化して行きました。
カードゲームショップのゴミ箱からカードを拾って遊んでいた子供達も大体団地住まいが多く、相手を住んでいる場所で考えなければならない実情もありました。
遊びの世界だから、では済まされないことはあります。それが金に絡むことであれば尚更です。子供に限らず歯止めの効かない大人も多く商品の万引きや詐欺、暴力沙汰などもありました。しかし私は平和な学校よりこちらの世界の方が馴染んでいました。
今でも大学に行くとムズムズすることがあります。きっと馴染まなければならない場所は学校なんだと思います。しかし周りにいる学生と私では学生経験に大きな差があるため友人関係も希薄でした。友人関係はその場所に個人を繫ぎ止める錨のようなものでこれが無ければ人は流れて行きます。私もいずれまた流れて行くのでしょうか、せめて流れ着く場所が落ち着いた場所であることを祈るばかりです。
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