投稿

どこからあおいうに個展は始まっていたのか

 2017年8月10日、私はあおいうにと付き合いことを決め彼女の部屋に住むことにした。  部屋はふたつあり片方はゴミとダンボールが積み上がり辛うじて寝床がある部屋、もう片方も一見するとゴミまみれの部屋に見えたがその実は違った。床に敷かれた絨毯が周囲とその空間を隔絶しているように存在し、イーゼルには描きかけの100号キャンバス作品『寝そべる人』があった。私は彼女に聞いた。  「どうやって生活しているの?」  彼女は答えた。  「描く時だけ帰ってきて普段は他の場所にいる」  なるほど。電気もガスも止まり、部屋はゴミとダンボールで埋め尽くされてもなお絨毯の上にはイーゼル、キャンバス、筆、画材、すべてがすぐにでも仕事を始められるよう配置されており一切散らかっていない。この絨毯の上が彼女、あおいうにの世界であり聖域だと私は感じた。  この時、私はいくつか思案した。生活はどうするか、体調はどうするか、しかしその中でも私の脳内はある一点で思考が引っかかっていた。それは彼女、あおいうにが部屋までの道中で私に言ったこの言葉が原因だった。  「自分は歴史に遺りたい」  私は世界史が好きだ。世界史で名前が遺っている人物は何故遺っているのだろうか。それはその時代において全力を出したか、その時代と噛み合ったか、その時代で最大の幸か不幸かを掴んだかだと考えられる。  では”あおいうに”を歴史に遺すにはどうしたら良い。全力は本人が勝手に出すだろう、時代との噛み合わせはプロが手伝ってくれるだろう、幸か不幸は……  正直私は臆病者である。自分が誰かと出会ったことが相手にとって幸運だったと言い張れるほど太い肝は持っていない。よってやることは一つ、彼女が全力を出せる”場”を構築することだ。この散らかりを通り越して生活できない部屋で出せる全力とこれをすべて片付けて暖かい部屋、温かい食事、温かい風呂を得た状況で出せる全力は決定的に違うはずだ。私は、彼女の全力を見たかった。  この後、私は気を病んだり体を病んだりして散々彼女の足を引っ張り迷惑をかけながら部屋を片付けライフラインを復旧し風呂を沸かして鍋料理を作った。今思い出しても自分が害悪だったことは多いと思う。  そして彼女の入院、引っ越し、そして個展準備。 ...

通院と書いてルチャ・リブレ

イメージ
 こんにちは、ハルトです。  今日は書字障害の検査を受けてきました。内容は紙に書いてある図形を写し描くというもの。おっかなびっくりナスカの地上絵もどきを写しとり、しばらく談笑した後に今度は図形を見ずに同じものを描く。結論から言えば半分くらいしか書けませんでした。  ただ思い返せば半分は書けたということです。ということは以前よりは障害が改善しつつかも知れない。つまり私の人生で邪魔なものの一つだったこれが解決すれば事務仕事が可能になるなど人生の幅が広がることに繋がります。  帰りには上野国立科学博物館で行われているアルパカ展、もといアンデス展を見てきました。アンデス地域は紀元前3000年前から文明が起こっており時代によって文化や帝国が勃興していました。 印象的だったのはこの石像。時代が下るごとに人間の頭部の描写がジャガーに変化して行く過程を遺している。当時の芸術が人間から神聖な対象へ移って行く過程を理解する上で重要な石像です。違う文明で考えると欧州の文化史で見れば人間描写→神聖描写→ルネサンス人間描写とどこの文化でも芸術は人間と神聖の間を揺れ動いているようです。  近現代では抽象の登場といったこともあるようですがこの辺は専門外なので多くは書けません。ですが文明として見ると人間でも神聖でもないことを人間が描写していることは非常に興味深いと思います。  ただ私はアンデスよりマヤとかアステカの方が好きです。私はなんにせよモンテズマ氏と縁深いCivVプレイヤー、ケツァルコアトルを引いたFGOプレイヤー。そろそろ勉強してもいい頃合いかも知れない。 前の記事 /次の記事

不登校就活戦線

 こんにちは、ハルトです。  時系列で書いておりました本ブログではございますが時系列的に何を書こうか忘れたので現状から書いてまいります。今の状況は病院通い、大学通い、就活通いの3つが主要なタスクとなっておりまして今回は就活がどのように進んでいるかを綴ろうと思います。 1、状況  ごちゃ混ぜになった障害、長い不登校歴、既に留年済み、状況としては不利です。しかしここで諦めたらおまんまに有り付けないのでない頭をフル回転させて行きます。まず考えるは餅は餅屋ということで大学の就職課にダッシュ。詳しく話を聞いてみると障害者雇用の実績はないという。マジかよ  曰く、敵を知り、己を知れば百戦危うからずという。となればまずは己を知ってみようということで今現在、自分にどのような障害があるかを検査してみることにしました。この結果を見ることで身の振りようが見えて来ます。  次に敵、この場合は企業となります。この前とある就職イベントに参加してみました。状況としては企業によって障害者雇用に対する姿勢はまちまちと行った様相である企業は障害者の受け皿がありそこから上がって来た情報を職場環境改善に生かすなどなるほどと思ったところがありました。対してあくまで健常者ベースでの雇用、そもそも理解していなさそうな企業と注意して企業を見なければならないことがわかりました。 2、作戦  状況は整理された。ではどう戦って行くか。  まず就職課では通常就職をベースとしてやり方を教えて頂き、その上で障害者雇用の手段を重ねる二階建て構造を作り上げる。今は自己分析という苦行を行なっているところです。大学就職課での目的は履歴書や自己PRなどの書類を健常者レベルの品質で作り上げることです。  障害については検査結果が来年出る予定です。これ次第でできるできないが見えて来ますので志望先をある程度絞り込むことができます。  ①就職課で作った書類、②病院の診断書。そして既に取得している③障害者手帳。この三つを生かして戦うのが本件の作戦となります。 3、実行案  就職課情報によると大学には通常雇用の情報しかないようなので実際の求人票などはハローワークで収集した方が良さそうとの事。であれば三つの書類が揃った段階でハロワへ突撃して話を進めることがベターだと考えられる。  以上がやろうとしてい...

近況

 こんにちは、ハルトです。  2、3色々ありまして病院通いの日々になりました。  10月某日、彼女と同棲していた時分の話。私は風呂場で死にかけました。のんびり湯船に浸かっていた時のことです。なんかぼーっとして来たと思ったら手足から痺れがきて挙句歯茎にまで痺れが来ました。これは危ない 。そう思って湯船から出ようとするとふらあっと足元がゆらつく、もっと危ない。  ここで彼女が私の異変に気づき肩を貸してくれてなんとか風呂場から脱出。動悸、息切れなどの症状もあり最初はのぼせたかなと思ったが水を飲み身体を横にすると呼吸が止まる始末。なんとか上体を起こして状況が落ち着くことを待ってこの日を終えた。  次の日、病院に行き脳のCT検査、脳波検査、心電図など様々な検査を行うも異常なし。 結局この日の不調は原因不明で終わった。  そして12月某日。彼女とのデート中にふらつきが酷くなりついには立てなくなる始末、その場でなんとか帰ろうとするものの身体が言うことを聞かず彼女に救急車を呼んでもらい病院へ。救急外来で点滴を入れながら様々な検査をするも異常なし。駆けつけた母親がそんなはずはないと24時間対応の脳外科に私を連れて行くもここでの検査でも問題なし。  結局どこの病院に行っても問題なしと行った結果になりました。しかし二度立てなくなる醜態を晒した事実と二度彼女に助けられた事実は変わりません。今まで行った脳外科、循環器科、脳神経科はとりあえず問題なかったので次は三半規管を疑って耳鼻科と心因性を疑って精神科を受診してに見ようと思います。  彼女、ありがとう。 前の記事 / 次の記事

近況報告会津若松飲酒旅

イメージ
 こんにちは、ハルトマンです。  最近ひどく忙しくなってしまいました。それはもう夏休み以前が夏休みで以後が繁忙期の如く忙しくなってしまったのです。詳細は省きますがなんか色々ありまして。色々あった関係者と同棲を始め、グッズ販売や地下アイドルの撮影など色々やっておりました。  なんか色々とか訳の分からない工数のせいか心身が重くなりこの前会津若松まで仕入れ旅行兼家族旅行に逃避して参りました。あそこは良い街です。歩けば酒蔵に当たるんです。そこで適当に試飲するじゃ無いですか、幸福度回復するじゃ無いですか、気に入った酒を買うじゃ無いですか、エデンで換金できるじゃ無いですか。私はこの旅で気がつきました。上手く立ち回れば仕入れ旅行の経費を回収できる。何なら黒字にできる。  エデンとはどんな店ですか? と聞かれることが多々あります。答えは諸相様々あるとしか言いようがありませんがここではエデンを装置として捉えてみましょう。初期エデンは身内の溜まり場、アジトのようなものだったと言います。しかし現在のエデンは人寄せ装置、酒類換金装置、料理スキル換金装置、精神修練装置と様々な装置として機能しています。装置とは道具的存在であることから自分にあった使い方をすればエデンは一定の利益を出してくれます。なので皆様どうぞエデンを使ってください。空き日で死にたいとか疲れたはいくらでもできるんですがそれだとこのブログのように私自身が飽きるのです。  話を戻しまして会津若松。初日は酒蔵を三軒ほど周り二本ほど日本酒を購入しました。歩き疲れ呑み疲れて宿に着くと担当の方は盃を出しこうおっしゃいました。  「あちらで会津若松の地酒を試飲できますのでどうぞよろしければ」  仕方ない、勧められた酒から引くほど自分も今年20歳になった弟も日本酒好きの母親も大人じゃ無い。とりあえず全部呑んで部屋へ移動、この時点で相当酒臭いです。私は汗を流そうと弟を引き連れ宿の温泉へと向かいました。ここでもトラップ、何と風呂の入り口に『プレミアムモルツ飲み放題』の神聖語句が掲げられたビールサーバーがあるではないですか。仕方ない、これは仕方ないので風呂上がりにビールクズしました。  夕飯は少々遅い時間に食べました。料理担当の人がオススメの地酒を教えてくれました。仕方ないので呑みました。...

やりたいと言うヤツほどやらない(上)

 こんにちは、ハルトマンです。  今回は久しぶりに高校生活を思い出してみようかと思います。  だらだらと委員会仕事を後輩に伝えながら迎えた試験期間真っ最中の頃、高校文化祭の実行委員の募集がかかりました。私は文化祭をどうせ既にある委員会仕事の延長線上の何かだとしか認識しておらず、どうせ委員会に無茶振られるくらいなら内部に入って弾除けしておこうと思い実行委員になりました。  過酷な夏の始まりです。  私がいた高校では全日制コースと通信制コースの二つがあり私は通信制コースに在籍していました。文化祭は全日制と通信制合同で行う催事でした。基本は全日制が決めたコースに沿って通信制も間借りする形で文化祭を執り行うわけですがこの時の全日制は頭が2、3悪かったようで何を思ったか文化祭テーマを「 革命 」と決めこれをぶち上げて来ました。学校で、しかもカトリック系ミッション高校で、文化祭のテーマが真っ赤。  正気の沙汰とは思えませんでした。  文化祭自体は夏休み明けすぐに開催することになっていましたが実際の行動は休み明けからスタートすると聞いた私が大慌てで各教員に根回しをかけようとするも夏休み中は学校自体が閉まると言うことで余裕あるスケジュール編成は完全に不可能となってしまいました。  正気の沙汰とは思えませんでした。  通信制文化祭実行委員第一回打ち合わせでは具体的に何をするかが検討されました。委員長は言いました。映画を撮りたい。私は言いました。プロット持って来い。委員長は言いました。映画を撮りたい。私は言いました。道具はあるのか? 委員長は言いました。ない。こうして監督(笑)以外の撮影、編集、効果、照明、音声が私となりました。教員は止めるどころが煽ってきやがったので後で全員巻き込んでやりました。  正気の沙汰とは思えませんでした。  一方、キルト委員会では文化祭展示作品、壁一面を覆うタペストリー制作が決定し具体案の詰めが行われ始めていました。私を含め野郎一同はデザインなどと言う文化的行為はできずただ男子高校生ゴリラパワで強い縫い目を作ることしかできませんのでデザインは女子に任せCoDMW3 の話で盛り上がっていました。  図書委員会では新規書籍購入の正当性を作る目的の実績作りが開始されており実務中の写真や貸し出し実績の表化が着々と進行し...

作れるものならなんでも作るよ

 こんばんは、ハルトマンです。  最近更新できず申し訳ございません。  今回の記事は私が最近 エデン で作った料理とその総評を書こうかと思います。  常駐メニュー  1、牛肉のコロッケ/白身魚のフライ 1個100円 単品料理  まず揚げ物料理を考えた時、串物を考えました。しかし某業務用スーパーマーケットに適当な商品が無かったため、牛肉のコロッケと白身魚のフライを採用しました。この二つを比較すると売れ行きでは白身魚のフライの方が好調です。さらに魚と牛肉では魚の方が現代では食べる機会が少なく魚を食べたいという需要に応えていると考えられます。今後、白身魚のフライは継続して提供致しますが牛肉のコロッケについては再検討する必要があると判断できました。  2、フィッシュ&チップス 一皿500円  平日本営企画でも安定してご注文を頂いている一品です。内容は前述した白身魚のフライ2個とフライドポテトを適量皿に盛り付けた料理となります。味付けは白身魚のフライは塩のみ、フライドポテトは岩塩とハーブの混合調味料を使用しておりお酒を飲むお客様方のみならず幅広くご注文を頂いております。しかし何度かこの料理に対してもお客様からご指摘ご意見を頂戴したことがございます。白身魚のフライを食べた後にフライドポテトは流石に重いや単純にポテトの量が多いなどの問題点はお客様からのご意見で認識できた問題でした。この問題については量を半分にしたハーフサイズを実装するかあらかじめ量が多いことを明記して共有して食べていただくことを推奨するかで検討しております。  3、冷やしトマト 一皿200円  ある時、ツイッターで冷やしトマトはコストパフォーマンスが悪い、冷やしトマトを注文する人間は経済感覚がない、などの言説が流布しておりました。まず第一の論点、コストパフォーマンスについて検討してみますと冷やしトマトは材料価格コスト以上に調理コストがかさむ料理となっております。私が店で冷やしトマトを出す場合はまずトマトを冷蔵庫で長時間冷却します。次に潰さないことと短時間で切り分け手の熱がトマトに伝わらないようにする為に包丁を研ぎまず。次にまな板を洗い熱湯をかけ煮沸消毒を行います。最後にトマトを切りますがこれも短時間でなおかつ切った断片が立つように切ります。このように冷やしトマトを...

騙されるヤツから兵隊に売られる

  こんにちは、ハルトマンです。  皆様はエリア88をご存知でしょうか。主人公は大手航空会社勤めでしたが友人の裏切りによりバーで潰されてしまい傭兵として熱砂の空に売り飛ばされてしまった話です。  かく言う私もエデンで飲んでいたらこのザマなのでございます。  記憶も怪しい高校一年生が終わり、高校二年生になりました。クラスは生え抜きのヤンキーと陰キャラが揃いクラスまとめて特別対応になっていました。そしてもう一つ、後輩ができました。私たちのクラスをネオ・サイタマとすれば一年生のクラスは『日常』世界でした。だから拉致りました。  図書委員会は慢性的な人不足、後輩ができたと言うこともあり担当教員も含めてどうやって勧誘するかと盛り上がっておりました。どこかで委員会説明のタイミングを作って他の委員会も込みで紹介する、帰りのタイミングで勧誘する、などお行儀のよろしい手法が女子たちの間でキャッキャウフフと話し合われておりました。  私は何故か図書委員会と直接関係無いけど監視要員兼暇つぶして来ていた一年生担任に今クラスに誰かいないかと確認を取り、いつも放課後残って駄弁ってる若いのが三人いるとの情報を手に入れました。そしてキャッキャウフフしている連中を完全放置して隣の一年生クラスに行き彼らを見つけてこう言いました。  「オイ、なんか先生が呼んでるぞ」  突然先輩から声をかけられしかも先生からの呼び出し、学校に来てから数日も経っていない彼らは驚き図書委員会をしている部屋に来てしまいました。  とりあえず彼らを部屋に入れて  鍵を閉め  私は言いました。  「おめでとう、今日から君たちは図書委員会だ」  状況を察した教員×3は拍手で彼らを迎え、状況が分からずとりあえず合わせて拍手をするキャッキャウフフ勢、そして状況が分からず固まる一年生×3。  徐々に皆が状況を飲み込み始め私がやった蛮行は事後承認されて行きました。ついでに彼らをキルト委員会にも放り込みこの日より彼らは屈強な委員として針と本に勤しむことになりました。やったぜ 前の記事 / 次の記事

 こんにちは、ハルトマンです。  ある日は縫い仕事、またある日は図書室で事務仕事。勉強の記憶より委員会仕事の記憶が多い高校時代でした。というより勉強が壊滅的でした。  小中学校とは縁遠い生活をしていたので基礎が完全になく、自習をしようにも勉強の方法が分からず止まってしまい、挙句この頃は判明していなかった書字障害がノート取りを含む勉強全般に足かせとして嵌っていてどうにも自分が学習に繋がることはありませんでした。  きっとあれだけ商いに集中できていた要因として成果の出ない勉強より成果が出る商いがあったことが考えられます。この二つの対比は実に単純で自分自身のモチベーションの根幹はあくまで”成果”という要素が強くあるということを示唆しています。そして私は成果が出る方向へ、そして嫌なことがない自由な世界へと流れて行きました。  家や学校より外の方がずっと楽しかったです。勝った負けたもあれば美味い不味いもあって聖人もいればクズもいる。そんな環境に私は馴染んで行きました。小学校の時点で枠組みから外れた身ですから当たり前と言えば当たり前なのでしょう。危ないことも沢山ありましたが危険なのは家も変わりません。どこへ行こうとも殺そうとしてくる奴はいつでも殺しにかかって来ます。  私がいた地域は治安もそこまで良い場所ではありませんでした。ある時、友達のカードが盗まれ別の友達が犯人だったことがありました。盗まれたカードは即日売り飛ばされ現金化されていました。友人から下手人に落ちた彼を尋問して実家まで行くとそこは市内の外れにある公営団地、ああ、またここか。私はこの時点で回収を諦めました。そこは一定の所得がある層の全てが市の中心部のマンションへ引っ越してしまい、利便性が悪い団地群の治安は一気に悪化して行きました。  カードゲームショップのゴミ箱からカードを拾って遊んでいた子供達も大体団地住まいが多く、相手を住んでいる場所で考えなければならない実情もありました。  遊びの世界だから、では済まされないことはあります。それが金に絡むことであれば尚更です。子供に限らず歯止めの効かない大人も多く商品の万引きや詐欺、暴力沙汰などもありました。しかし私は平和な学校よりこちらの世界の方が馴染んでいました。  今でも大学に行くとムズムズすることがあります。きっと馴染まなければならな...

太陽と低気圧、お前らちょっとそこ座れ

 こんにちは、ハルトマンです。  このブログを始めてから昔話を思い出すことが増えてまいりました。店からの帰り道でこの前はあれを書いたから次はこれを書こう、あれを書いたけどもしかして時系列逆?など一人脳内検証する毎日でございます。今回は箸休め的な意味を込めて雑記を書いてみようと思います。  最近のエデン  普段各クラスタが平和にキャッキャウフフしているお店ですが時たま不心得者が現れるのはどの飲み屋も同じようなものでエデンも御多分に洩れず不心得者の粗相でご近所様と衝突する事となってしまいました。まぁこの案件に関してはてんちょうのシマ案件なので内政屋としては店にカチコミかけられたら即ツイキャス起動して実況しなきゃなと心得ている次第です。  五月には揚げ物を実装してご好評を頂き、六月にはアルコール類の拡充が一定の効果をあげたように思います。では今月は何をしようか、まずやりたいことはノンアルコールカクテルの実装です。エデンは飲み屋でございますが多くのお客様がコーラを楽しまれている実態があります。理由は明日仕事、薬の都合、宗教上の制約、体質の問題、粗相防止など様々お酒を飲めない理由が聞こえています。どれも当たり前のことであり私としても文句を言うどころかソフトドリンク類の拡充を考えるほどでした。しかしエデンは『Bar』です。放課後の部室、アジト、友達(親戚)の家、宅飲み、屋根付きの公園、居酒屋、ラーメン屋など貴重なご意見を頂戴しているイベントバーエデンですがあくまで飲み屋です。せめてシェイカーもいただいたことですし時期は未定ですがノンアルコールカクテルを実装して公共の福祉に資せるよう努力致したい次第です。  エデン以外   これ 行きたい。最近エデンで啓典系宗教話が多くてそろそろブッダ見たい。西洋絵画系企画展行ってこれでもかと言うほど聖母子像見てもう飽きた。アジアだ、ブッダだ。  最近カメラ振り回せてないので 根津美術館 の中庭行きたい。あと行こう行こう思っていて行けていない 浜離宮 も行きたい。 夢の島熱帯植物館 も良さそう。とにかくカメラを振り回したい。 前の記事 / 次の記事  

遍歴商人からジョブチェンジしました

 こんにちは、ハルトマンです。  最近エデン業務が立て込みこちらの更新ができず申し訳ありません。  前回までの記事をまとめますと私は高校一年生の時点でクラスはジャングル、委員会はキルト委員会と図書委員会の掛け持ち状態をしている状態でした。  部活はどうした、と疑問に持たれる方もいらっしゃると思いますが私が行っていた通信制高校はそもそも部活というものがなく仕事と保険の先生がやっていらっしゃったギター教室、キリスト教関係の何か、程度しかなく私は学校での仕事と学校の外での仕事が本分であったため特に部活でどうこう語れることはありません。  この頃の私は委員会仕事が終わると即学校を離れ商いに戻っていました。委員会終わりにどこかで友達と何か飲み食いなどということはありませんでした。原因は高校が山にあり終バスを失う危険性、街灯の無い帰り道で遭難する危険性等があり冬場ではさらに極寒環境になることから一刻も早く街へ戻りたい一心でした。  街に戻るとまずいつもの店で仲間連中と合流して相場の確認や在庫融通などスタートアップから初めて朝まで商いでした。しかし中学生時代とは大きく商いの仕方や環境が異なっておりました。最大の変化はスマートフォンの普及です。誰しもが片手でインターネットに、これは私たちの商売に致命傷とチャンスを与えてくれました。  それまで価格は地域の需要と供給で成り立っていました。仮にカードショップ一店舗あたりが供給できる量が1000だったとして、需要側が1000以下であればカードの価格は下落します。しかし逆に1000以上の需要があった場合その分カード価格は高騰していきます。カードショップは地域によって店舗数に差がありプレイヤーは多いのに店舗が少ない、あるカードゲームタイトルは人気だが別のタイトルがこの地域では不人気、など需要と供給は非常に不安定な状態でした。私たちはこの地域間格差を利用してある地域で需要が少ない商材を仕入れて別の需要が多い地域で売る遍歴商人のようなことをしていたわけです。  スマートフォンはこの商売を潰してくれました。ネットオークションやカードショップ通販、それらを基盤とした価格情報サイトが誰でも片手でアクセスできるようになったのです。カードショップもプレイヤーも情報サイトの価格を基準として考えるようになり、トレード市場でのカード...

ザルに本が置いてあった

 こんにちは、ハルトマンです。  学校とは文化的な装置である以上、本棚は万人に開かれ蔵書は万人が求めるものでなければなりません。だからって管理くらいしろよ。  ある日のこと、授業も終わり缶コーヒー片手に一息ついていると 以前 私をキルト委員会に誘ってきた教員がポツリ、  「図書委員会の人が足りない」  とぼやいて来ました。  この時私の思考はめんどくさい半分、放出書籍転売すれば小遣い稼ぎくらいにはなるか半分でしたか何はともあれ仕事があれば何か稼ぎがあると思い図書委員会にも関わってみることにしました。  委員は私を入れ5名、同期の意識高いの一人、それのお付き一人、よく教育されたオラオラ系ヤンキー2名、私。これ本当に図書委員会かと首を傾げながら委員会活動に出席すると開幕ヤンキー2名は帰宅、意識高いのは典型的な仕事が理解できないタイプでお付きとずっと話している。蔵書リストはあるかと担当教員に確認したところ古いノートパソコンに格納されているとのことでそれを確認しながら本棚と照らし合わせてみると不思議なことが分かりました。蔵書リストにある値段の付く本が片っ端から消えている。  どうやら定期的な蔵書確認をしておらず、貸出実績記録すらないとの事。ズブの素人だった私でもわかる。これはダメだ。とりあえず下手に仕事が増えないよう1ヶ月がかりで問題になりそうな案件を先に見つけて片端からもみ消し書面上は健全な運営体制に作り変え使い物になりそうな2名に現在の蔵書のリストがない(ある)と知らせ急かし新しく蔵書リストの作成から取り掛かることに。この仕事は都合夏まで続きましたがなんとかもみ消しの痕跡は無くなりました。  次に出来上がったリストを教員に見せ今現状の蔵書はこの通り、このような歯抜けではどうしようもないのでせめて購入リクエストを募ってみては如何でしょうかと上申して拡充の決定を頂きました。歯抜けの原因は分からないと寄贈本だからではを繰り返しなんとか追求を逃れることに成功しました。もし真相が露見したら図書室そのものが解体される事になったでしょう。  こうして私はキルト委員会と図書委員の二つを掛け持ちする事になりました。当時、両方で相当な汚れ役やったから学校卒業できたのだろうと思っています。でなければあの名前を書いただけの答案で点数が付くはずがありませんか...

切った縫ったの毎日

 こんにちは、ハルトマンです。  前回、私は放課後に 針と糸 を持つようになりました。  キルト委員会とはそもそも何をしていたのか、まずはその整理から始めたいと思います。端的に申しまして授業の準備と直しが主な仕事になっていました。  新学期が始まると総合の授業で各学生たちがキルトを縫い始めます。一人9枚の正方形ピースを縫い合わせ一枚の3×3のパッチを組み上げていくのですがこのキルトのゴール地点は2つあり1つは9×9パッチを2枚使って作るクッションなのですが最後に棉を詰めた時各ピースがふっくらとなる必要がありそれに合致した縫い方が決まっていました。  放課後、授業で作られた3×3のピースがキルト委員会に運ばれて来るのですがこの時そのまま使えるものは全体の5割にも満たなかったかも知れません。縫い方が間違っている程度なら糸を解いて直すだけですが余程力を込めて縫ったのか生地の糸目が崩れていたり縫い方が特殊で糸を解くだけでも時間を要したりと直しの仕事が大半を占めていました。  当然これでは放課後の時間では足りず総合の時間中にもう一つのゴール、タペストリー制作に使うパッチを組み上げていました。こちらの方は適当に組み合わせれば良い、というものではなく大きな模様を組み立てなければならないので難易度が上がります。  さて、ここからが最大の問題です。ある目的を達成するには常に最適が求められます。古代ローマが誇ったレギオンなどはこの好例かと思います。ともかく人員が必要なわけです。しかも仕事ができる人員です。私が在籍していた高校はそもそもできない子が集まる高校でした。その中から辛うじて仕事ができる人間を抽出して委員会へ組織していくわけですから人員は非常に限られたものとなり結果として稼働できるのは5名に満たない目的に対して少数すぎる構成員で仕事をしておりました。  予定より多い仕事、足りない人員、そして季節によって灼熱と極寒が入れ替わる寒暖の差が激しい労働環境が我々を苦しめていました。私がいた高校は山の斜面に校舎が建っており日当たりは非常に良好でした。夏は日当たり良好過ぎて換気機能がない委員会室は灼熱地獄と化していました。さらに委員会室の前はグラウンドになっておりラグビー部が熱い青春と滾る肉体を発露させており全てが熱い環境での針仕事。冬場は山に日が隠れてしまい自然...

エデン戦線異常無し

 こんにちは、ハルトマンです。  散々ラム肉を焼き続け昔話をする余力がないので本日の更新はイベントバーエデンにて行われたラム肉配布企画の内側を書き残そうと思います。あと例の件についての所感も書きます。  ある日のこと、てんちょうは言いました。  「イードやるぞイード、羊の肉配るんだ」  「え?」  正直何を言っているのかわかりませんでした。詳しい段取りも何もなしでトントン拍子で進む企画進行、とりあえずとはいえスープ係になるもこの時点では私も何も考えていませんでした。  6月28日、水曜日。その日はいつもの初見歓迎バーでした。その日は てんちょうブログ の読者の方々で賑わっておりました。  見誤った、まさかこれほどとは。スープ作りと飲食提供の同時進行は中々どうしてできることはできるが難しい。しかしおまるさんが材料調達を手伝ってくれたお陰でなんとか当日のスープを用意するまでに至る。  閉店後に食品管理衛生責任者、すごい人、私でラム肉の提供方法を検討するも私はポンコツ無能で使い物にならず撤退、必死に電車内で考え込むもやはり何も思いつかず部屋に戻りこの日を終えました。  6月29日、当日。関係者全員朝に弱いエデン本営も気合を入れて朝から活動を開始。すごいひとは睡眠時間を削り朝からラム肉を焼きだしていた。そしてこれが後に功を奏する事となった。  13時、開幕から8名来店。来るのは早くても夕方だろうと考えたいた出鼻を挫かれ大急ぎでラムステーキをパックに詰めて提供を開始した。  この後、続々と来店して頂き私とすごいひととでローテンションで肉を焼き続け無事ラム肉は完売致しました。  しかしこの日はこれだけでは無かったのです。  イベントバーエデンは 立ち退き してくれと言われてしまったのです。  てんちょうすごい楽しそうだった。  私が個人としてこの件について思うことは、ありがとうございます。この一言に尽きるものです。確かにイベントバーエデンは開店以来様々な粗相を重ねて参りました。潰れる潰れるガサ入れされる検挙されると思って早1年、全くその兆しも無くただ曖昧にその日を営業をして一部の方々からは最近のエデンはたるんでいると厳しいご指摘を頂戴しておりましたところに飛んで火に、いえ、たるんだエデンに喝を頂戴いたしました...

通信高校1年生と針と糸

 こんにちは、ハルトマンです。  晴れてカタギの道に戻ったと思ったらジャングルだった。人生がよくわかりません。 高校とは、学校とはああいうものだったのでしょうか。少なくとも自分がまともの部類に入る高校があっていいものなのでしょうか。怪しいところです。  その日、私は週二回の登校日のうちの一つに出ていて唯一まともに進行できる体育の移動中でした。私が行っていた高校は全日制の校舎と通信制の校舎があり私たちは通信制の校舎から教員総出の護送でグラウンドへ向かっていました。護送はテンション上がって全日制の校舎にカチコミかましたり私のように飽きて消える者が出てくる為です。  この護送中に国語の教員からある相談を受けました。キルト委員会を手伝ってくれないか、私の高校では授業の一環でキルト作りがありキルト委員会とはその授業の準備をするところでした。曲がりなりにも高校に入れてもらった恩義がある以上、手伝いが必要と言われたら断ることもできません。その日から私は針と糸を持つようになりました。  キルトの授業は総合必修で全ての学生が受けていました。まず針と糸の使い方から縫い方など細かい作業の概要を教えそれから実技ということになりますが私のクラスからして このザマ だったので技術精度や出来栄えは一切求められていませんでした。できる子はできるし、できない子は最後まで頑張れば良い、そんなゆるい授業でした、  で、尻拭いをしていたのがキルト委員会の面々でした。分かりやすい授業と解説用紙があってもできるできないはあります。まず最初にやる仕事はちゃんと形になっているキルトと使えないキルトを分別することからでした。次に形になっているものはそのままつなぎ合わせて完成品に近づけ、全体の9割を占める使えないキルトの糸を解き再度正しい形に縫い直す。これを放課後の1時間程度を使ってやっておりました。  キルト委員会にいたのは比較的大人しいメンバーでした。同期が一人と先輩が数人、私以外全員女性だった為私は浮いた存在だったかと思います。男子の大半が蛮族に近かった為、非常に警戒されていたようです。  人生初の、学生生活が始まりました。 前の記事 / 次の記事

前略、オフクロ様

 「前略、オフクロ様。晴れて私は高校へ入学できました。  一日も早く学校というものに慣れて健やかな学園生活を送りたいと思います。」  魁‼︎クロマティ高校第1巻より一部抜粋。  こんにちは、ハルトマンです。  皆様はクロマティ高校を読んだことがありますでしょうか。私は実写版が好きでした。ゲーム版は辛かったです。さて、本題に入りますと私が入学した高校は週の登校日が二日と自由登校日が一日、メカ沢とフレディとゴリラがいないだけの高校でした。馬はいました。  入学式の日まではまともだったと思います。カトリック系の通信制高校でとても厳かに入学式が執り行われ、司祭様がいらしていたりしました。  何かこう気に食わない。自分自身の信仰にないことで祝福されたところでストレスでしかない。ということで入学式から消えました。使ったのはいつもの手です。皆が起立して式に集中している時に堂々と出て行きました。どうやら誰一人気づかなかったらしく式が終わって名簿確認中に私がいないことに気づいて私を探し回ったようです。多分その時私は高校の自販機でコーヒーを買って一服していたと思います。  さて、授業初日。開幕から私がご厄介をかけ、まさか私以上の阿呆はいないだろうと思っていたのでしたがこれは完全に私の失点でした。いました。私以上のアホが、それもクラスの8割。  最初の授業から生徒から教師に対して煽りが入る、何かあるたびに入る。国語の先生は若干涙目になり、化学の教師はいじめられた子供みたいな目をして出て行きました。次の日、副校長先生からシメが入りその後1時間だけ平静が保たれたようですがすぐ元どおりになったそうです。私は眠かったので行きませんでした。  その後2ヶ月でクラスからごそっと人がいなくなりました。男子は喧嘩、喫煙、無免、その他で停学または退学になり、女子は登校拒否、妊娠、その他でいなくなり、残ったのは20名にも満たない精鋭集団。しかし授業の崩壊は食い止めることができずついには授業のノリが変わりました。  喋るならば、いっそ喋らせる授業にしてしまえ。多分当時の教員の方はこう考えたのかも知れません。片っ端から質問を求め、それに片っ端から答え、話を振り、話を振られのマイケル・サンデル方式の授業に変わったのです。大人しく板書を写すなんてそんなぬるい世界ではありま...

まさか高校へ行くなんて

 こんにちは、ハルトマンです。  私はよくうっかりをします。お店で注文を忘れたり、自分で考えていた予定を忘れてしまったり、とにかくうっかりをしてしまいます。  あの高校入ったのは私にとって完全にうっかりでした。いくつかの恩義がありますが私にとってうっかりでした。本来行こうとしていた高校は別にありまして、そこは都内のやたら自由な高校でして定期券があれば商売の幅が広がるとその一点にのみ気合を込めて高校受験に腹をくくったはずでした。  受験日前日の寝起きに麻雀誘われちゃった。寝ぼけたまま打ちに行き、気がついたら朝が来て、太陽を拝みながら人生について考えていると朝の清とした空気に私の携帯が鳴り響きました。忘れてた。今日受験じゃん。  でも、めっちゃ眠い。家に着いた時には既に疲労困憊、ぼーっとする頭でとりあえずシャワーに入り目を覚まそうとするも眠気が勝る。シャワーから出ることには疲労と眠気、そして朝日と程よい体の温かみ。ベッドへダイブしようとする私を家族総出で止めにかかりなんとか私はスーツを着込んで面接に向かった。  結果から申し上げますと落ちました。受験中の記憶がありません。多分朦朧としていたはずです。この後、地元の高校がまだ受けられるということでもうどうにでもなれというノリで受けに行きました。  何か受験が終わり部屋で一息ついていると親が高校から呼び出され帰ってくると何やら私に説明し始めました。結果としては落ちていたらしいです。  ですが当時の教頭先生が  「この子をうちで拾わなかったらどこが拾うんですか」  と仰り、晴れて私は高校生となりました。通信ですが。 前の記事 / 次の記事

中学生不登校にとっての中学校

 こんにちは、ハルトマンです。  当時の私にとって中学校とはなんだったのか。正直申しましてとても希薄な存在でした。部活もテストも私には関わりのないことでしかなく、小学校時代のように保健室も課外学習も関わりませんでした。どこまでいっても定型世界でしかなく、ただ退屈が降り積もる場所でした。  私にとって中学校とは外でした。日銭を求めて一日中歩き回り、強い相手面白い相手を求めてカードゲームを振り回し、朝も夜も関係なくどこかで誰かと喋っていました。体系的なことはなくただ商いの腕、カードゲームの腕、個人の能力が最大限発揮される自由な場が私の中学校でした。  麻雀で大負けしても相場読みを失敗して向こう数日分の食費が無くなった時も楽しかった。電車代が無くなって夜道を歩き続けたことも、自転車移動で膝を悪くしたのもこの頃でしたがとても楽しかったです。  様々な行政の支援を受けましたが私が学校へ行こうという気持ちにはなりませんでした。私は中学校という世界を知りませんでしたが外の世界を知ることができました。比較することはできませんが一度既に枠から外れてしまった身に合うのは枠のない世界でした。当然枠のない世界は枠に守られることはありません。危ないことも沢山ありましたが友達と幸運に助けられました。  この時代で最大の失敗は自分の障害や病気を詳しく知ろうとせずただその日を燃料のように燃やしていたことでしょうか。あの時に問い詰め障害や病気の詳細を知りこの使い勝手の悪い頭や体の使い方を勉強しておけば良かったと後悔しております。  小学生時代より短い中学生時代、私にとって多くの時間を外で過ごした時間でした。卒業式も出ずただその日も外で何かをしていたはずです。 前の記事 / 次の記事  

中学生不登校、条件付きで実家に戻る

 こんにちは、ハルトマンです。  地元やその周辺方々で小銭稼ぎをして日銭を稼ぐ日々、そんな日々にも変化が生じました。高校受験という不条理が迫って来たのです。私は実家から行方を眩ませて商いで身を立てて行く気しかありませんでした。しかし事情を整理するとどうも実家から完全に離れる方が不利だということがわかったのです。  この頃、私よりカードトレードが上手い友達が増えており私の稼ぎは目減りしていました。さらに目減りした分を穴埋めしようと2、3行儀の悪い商いもやっており正直申しまして長続きする気配が無かったのです。お天道様の下で働けることをあれほど羨ましいと思ったのはあの時が初めてでした。  商売にも陰りが増え始めて来た頃、実家から高校受験のためにせめて障害支援の家庭教師の下で勉強してみないか、という誘いが来ました。小遣い付きで。この頃は養育費の支払いや慰謝料の支払いがあったようで多分そのお金が使われたものだろうと思います。  私の家庭教師になったのはPでした。プロデューサーさんです。わかる方にはわかる話です。私が電子辞書でMediaの綴りを調べてギリシア神話の方のメディアが出てくるとキャスターと口を滑らせていたりする方でした。この後にもその時々で家庭教師の方が来ましたが後にも先にも私のめんどくささに付き合って頂けたのはこの方でした。  勉強というものに触れて思ったのは数学というものは構造物であるということでした。基礎がない、掛け算割り算すらやっていない人間に中学校数学はなかなか無理がありました。さらに短期記憶に障害があったため解き方を悉く忘れる始末、きちんとできた自主課題は全て文脈から類推できるものだけでした。  中学校からは進学云々の話や学校説明会などの話が来ていましたがそもそも私は興味がなくほぼ無視していました。その結果、とんでもない高校へ進学してしまうことになるのですがそれはいずれ書きたいと思います。 前の記事 / 次の記事

雑記:小学生不登校、保健室とか遠足へ行く

 こんにちは、ハルトマンです。  今回は低学年の頃だったか高学年の頃だったか思い出せなかったことを書こうかと思います。  私が精神崩れるかどうかの頃だったかと思います。学校側からなんでもいいから学校に来てくれという電話が何度かあり仕方がないのでたまに保健室や遠足に顔を出していたような覚えがあります。  保健室は本当にやることがなく暇な場所でした。ちょうど弟の父親対策で携帯電話を持たされた頃、私が保健室で携帯アプリのグラディウスや超兄貴で遊んでいるとそんなに暇ならとパソコンでの事務仕事をやってみないかと誘われ今でいうところのキラキラネームに悩まされながら一時期の名簿は私が作っていました。担任の先生はたまに学校はゲームをする場所ではないと言ってきたりしましたが私はそれならばとそのまま帰っていたため段々と放置気味になっていたので私にとってはいい暇つぶしとなりました。  遠足は心底つまらなかったように思います。何をするにも興味が違う人間と集団行動しなければならない苦痛、行きたくない場所に行く苦痛、常に先生の監視の目から逃れられない苦痛、これらの苦痛が渦巻いていました。多分私と同じ班にされた側も苦しかったと思います。私と組まされることは基本的には貧乏くじに等しいものだったと思います。なので消えました。周りがショーとかに集中している隙に堂々とその場から消えました。不思議なもので人間の認識とは常に物事を連続体として捉えているようで認識している連続体に違和感が無ければ何も気づかないのです。映画フィルムのコマが一つ抜けていても誰が気づくでしょうか、きっと映画を止めてフィルムを見なければ気づくことはありません。これと同じで集合時間になり認識が一度落ち着くとやっと私がいないことに気づくのです。普通は集団行動から抜けて好き勝手に自分の興味のまま楽しんでいたら怒られるところですがこの頃の私はそういった倫理観は全く理解できていないので堂々と集合時間から少し過ぎた頃に集合場所に行きました。担当教員は大体何を言っても時間がかかるだけなので何も言って来ませんでした。  遠足で思い出しましたが不登校を学校に戻す仕事や遠足での監視役を生徒に任せるのはよろしくないと思います。責任感が強いお子さんとかは先生の期待を裏切らないようにと必死に頑張って前提の違いに気づかず失敗して泣いてしまい心...